書評王の島

トヨザキ社長こと豊﨑由美さんが池袋コミュニティカレッジで開講している「書評の愉悦ブックレビュー」。そこで書評王に選ばれた書評を紹介するブログです。

パトリシア・ハイスミス『見知らぬ乗客』書評

 

見知らぬ乗客 (河出文庫)

書いた人:山口裕之 2017年11月書評王
講座では学生時代からのあだ名の「ルー」で呼んでもらってます。冬はNBAとNFLのテレビ観戦で忙しいです。今年はNYニックスの調子がよくてご機嫌。NYジャイアンツ、お前はダメだ。

 


〈そこでわたしは一夜にして"サスペンス"作家となったわけだが、わたし自身は『見知らぬ乗客』をカテゴライズするつもりはなく、単に面白い小説だと思っていた〉。別名義で書いた『プライス・オブ・ソルト』(のちに『キャロル』と改題)がのちに本人名義で出たときのあとがき(※1)に、パトリシア・ハイスミスはこう記している。彼女の第1長編『見知らぬ乗客』は、1950年の刊行後すぐにヒッチコックが映画化の権利を取得。翌年公開された映画は、たくみなカメラワークと先の読めないシナリオによって、緊張感が持続しつづける"サスペンス映画"の傑作とされている。ところが原作はまるで違う。筋も相当違うのだが、何より作品の焦点が「サスペンス」とはおよそ異なるところに当てられているのだ。
 新鋭の建築家である29歳のガイは、長距離列車のなかで富豪のどら息子である25歳のブルーノと出会う。馴れ馴れしく自分のコンパートメントにガイを連れ込んだブルーノは、ガイが離婚協議中の不貞の妻を憎んでいることを聞き出す。かねてより殺人にあこがれを抱き、小遣いほしさとマザコンのあまり父親を殺す算段を練っていたブルーノは、ガイにひとつの思いつきを提案する。「殺す相手を交換したらどうでしょう? ぼくはあなたの奥さんを殺し、あなたはぼくの親父を殺す。ほら、ぼくたちはこの列車で会っただけだから、知り合いだってことはだれにも知られてない! 完璧なアリバイだ!」
 ヒッチコックが気に入ったのは、のちに「交換殺人」という類型にまでなるこのアイデアだったのかもしれない。頼まれもしないのにブルーノがガイの妻を先回りして殺害し、もうひとつの約束の履行を迫るというところまでは映画・原作とも共通だ。しかし、映画では善をガイに、悪をブルーノに単純に割り当てているのに対して、原作ではガイの良心はそれほど楽をさせてもらえない。
「交換殺人」のキモは、殺人を犯す者どうしに接点や取引が見えないというところにある。なのにブルーノは終始、ストーカーさながらにガイにつきまとう。安全を考えればその行動は、とても合理的とは思えない。ところが、なぜかガイはそんなブルーノを究極のところ突き放すことができない。本来は理性的なタイプなのに、ブルーノの偏執的なまでの思い込みに巻き込まれるように選択ミスを重ね、悪の領域へ踏み込んでいってしまうガイの行動もまた、非合理なのである。
 本作に先立つこと5年前に発表され、ハイスミスの"実質的な文壇デビュー作"とされる「ヒロイン」という短編がある(※2)。家庭で愛に恵まれず、それがゆえに奉公先の女主人に気に入ってもらいたいと狂おしく願う21歳の保母ルシール。〈いざというときにあたしがどんなに役に立つか証明して〉みせたいと思った彼女は、その思いあまって「いざというとき」を自分で起こしてしまう。ブルーノは、この娘の写しとも言える。ブルーノがガイの妻を殺したのは、かわりに自分の父親を殺してほしいという打算よりも、そうすればガイに気に入ってもらえると思い込んだからだ。ガイがブルーノを拒絶しきれないどころか、だんだんとブルーノとのあいだに〈神聖で侵すことのできない〉秘密を共有しているとまで思うようになったのは、一見理解しがたい彼の行動の奥底に、その切実な欲求を認めたからにほかならない。
 本作を〈単に面白い小説だと思っていた〉ハイスミス自身は、どこにその面白さを感じていたのだろうか。おそらく、なぜ人は特定の状況下で非合理的な行動をとってしまうのかという点に向けられていたのではないか。「交換殺人」は、いわばその状況をつくるための道具となっているに過ぎない。緻密な心理描写によって、いつの間にか登場人物だけではなく読者をも、その非合理にからめとってしまうところに、複雑かつ大いなる魅力がある作品なのである。
※1 河出文庫『キャロル』(柿沼瑛子・訳)に収録
※2 ハヤカワ・ミステリ文庫『11の物語』に収録