書評王の島

トヨザキ社長こと豊崎由美さんが講師をつとめる書評講座で、書評王に選ばれた原稿を紹介するブログです。

ジェイムズ・P・ホーガン『星を継ぐもの』池央耿訳

星を継ぐもの (創元SF文庫)

書いた人:和田M 2017年10月書評王
最近読んで面白かったのはサルトルユダヤ人』。
ホーガンは『造物主の掟』もいいですよね。

 

 あらゆる分野の科学用語で埋め尽くされたハードSF、ジェイムズ・P・ホーガンの処女作『星を継ぐもの』を、まごうかたなき傑作“ミステリ”であると喝破したのは、ミステリ/映画評論家の故瀬戸川猛資氏だ。〈こういう種類の小説を、ぼくらは本格推理小説と呼んでいるのではあるまいか〉と、《ミステリマガジン》誌上の連載で絶賛した。
 たとえば、ひとつの事件について六人が独自の推理を披露する『毒入りチョコレート事件』(アントニイ・バークリー著)というミステリがある。すでに起こってしまった事件を調査し、推理をめぐらせて真相を明らかにする、という筋立ては本書とよく似ている。本書でも、究明すべき出来事はすべて手の触れられない遠い過去に属しており、語られるのはその痕跡の発見とそこから導かれる推論だけだからだ。進行中の現在においては積極的な事象がひとつとして起こらない、いわばきわめて静的な構造である。
 簡にして要を得た裏表紙のあらすじにはこうある。〈月面で発見された真紅の宇宙服をまとった死体。だが綿密な調査の結果、驚くべき事実が判明する。死体はどの月面基地の所属でもなければ、ましてやこの世界の住人でもなかった。彼は五万年前に死亡していたのだ!(後略)〉。〈彼〉はチャーリー、その種族はルナリアンと名付けられた。その時代に月へ行けるほどの文明を築いたルナリアンはいったいどこからやってきたのか。
 科学者たちがチャーリーの体や所持品の分析を進めるなかで開かれたある日の会議、ここが最初の読みどころだ。ルナリアンの起源について議論が百出、生物学者ダンチェッカーは「チャーリー=地球人」説を唱える。根拠はチャーリー自身。体の構造、体組織、すべて地球人とほぼ同じで、別々の進化の系列からこれほど似た種が生まれることは確率的に考えられないという。しかし、地球上でそんな文明の跡が見つかっていないのも事実。この点をいくら指摘されても、すでに体系化された理論に固執するダンチェッカーはまるで取り合わず、議論は停滞の気配を見せる。それを後ろのほうで見ていたのが、本作の主人公ヴィクター・ハントだった。調査に欠かせない分析機器の発明者として技術的な支援をしていたハントは、すでにいろいろな方面から情報を得ていた。そこで彼は、あるひとつの資料についての仮説を述べる。それ自体はささやかな発見だが、本題はここから。ハントはその小さな発見を各分野で個別に判明していた事実と付きあわせ、そこから数々の重大な成果が生まれる可能性を示唆してみせる。思ってもみなかった補助線に刺激を受け、会議は一気に白熱する――。発見と推論が互いの触媒となって高まりあうさまに科学の醍醐味を見てもいいし、理屈の応酬を高度な口げんかとしてただただ楽しんでもいい。本書が差し出すのはそのような快楽だ。活劇は必要ない。
 矛盾のとばりの奥深くに隠された過去はなかなか姿を現さないが、推理の光が、ついにその輪郭を明瞭に描き出す。ふいに現れるこのヴィジョン、立ち会ってそれを見たものは誰もいないこの情景の力強さと鮮やかさ。失われた情景をそれ以外の可能性はありえないという説得力をもって復元する、こういう語りのスタイルこそがミステリの十八番なのだ。
 ところで、物語最後のどんでん返しとなる驚愕の真相にたどりついたのは、それまで科学者集団の司令塔として活躍してきたハントではなく、ダンチェッカーだった。私はここに、著者ホーガンの懐の深さを感じる。科学の発展には、ダンチェッカーのような教条的で堅実な知性が欠かせない。その背後には「それなしで説明できるなら余計な要素を持ち込むな」という科学の鉄則があり、一方で、もしどうしても説明がつかないとなればそれまで有効だった理論でも疑わなければならない。その用意が彼にはあった。タイプの違うふたつの頭脳に見事なタッグを組ませたのは、科学に対する著者の敬意と信頼ではなかったか。 

星を継ぐもの (創元SF文庫)

星を継ぐもの (創元SF文庫)