書評王の島

トヨザキ社長こと豊﨑由美さんが池袋コミュニティカレッジで開講している「書評の愉悦ブックレビュー」。そこで書評王に選ばれた書評を紹介するブログです。

川崎徹『あなたが子供だった頃、わたしはもう大人だった』

あなたが子供だった頃、わたしはもう大人だった

書いた人:豊崎由美(とよざきゆみ)2017年8月書評王
1961年生まれのライター・書評家。最新刊は大森望との共著『村上春樹騎士団長殺し」メッタ斬り!』(河出書房新社)。

 

 

〈自分が十歳小学四年生で、嬉々として橋から列車目がけて石を投じる子供じみた悪遊びに取りつかれていた頃、この人はすでに二十二歳で会社勤めをし、好き合った者が社内にいて、週の半分は相手の部屋に泊まる半同棲を、大人の生活をしていたのだと考えることはあった〉

 川崎徹の最新長篇『あなたが子供だった頃、わたしはもう大人だった』は、平山とユキコさんという老夫婦の物語だ。十二歳年上なのは平山ではなく、ユキコさんのほう。〈急行で四十五分、さらにそこから地下鉄乗り継いで会社に行くような〉東京郊外の街に出来た建売の家を買って長年住んでいるものの、駅から家に続く急勾配の坂道が、老いた足腰には堪えるようになっている。
 二人はよくお喋りをする。日々の他愛ない話や、過去の出来事について、観た映画について、王選手と長嶋選手について、お互いの老いについて、話ははずむ。でも、二人の記憶は時に行き違う。家の近くまでバスが通るはずだという不動産屋の話を信じて実印を押したのはどちらだったかとか、かつて交わした会話で互いがどんな言葉を発したかとか、自分で仕入れたつもりだった豆知識が実は相手に教えられたものだったとか。しかし、これは老いた証拠というわけでもない。記憶とは若い時分からそうしたもので、覚え違いに気づいて小さく笑いあったり、憮然としたりすることが、誰かと共に生きる歓びなのだということを、平山とユキコさんの、生真面目さとユーモアが同居する会話が教えてくれるのだ。
 平山の父が半年分の小遣いをはたいて買ったのに、強風にあおられて飛ばしてしまった深緑色のボルサリーノを、車輪に巻き込んだまま走り抜けた列車。列車めがけて漬け物石を投じた八百屋の姉妹。列車に体当たりして死んだ町の名士。網棚に置き去られた赤ん坊。高校の山岳部の再興を託された新米教師の木川田。体を鍛えるべく鉄下駄で校庭を走る木川田を撮った八ミリのショートフィルム作品で、コンクールの銀賞を勝ち取った平山ら写真部の部員。後年、日本で十本の指に入る登山家としてヒマラヤで死んだ木川田。結婚の報告にきた平山を内股ですとんと投げ飛ばした、ユキコさんの柔道五段の父。電車の中で、流れる景色を見ながら涙を流した見知らぬ男。
 時折家にやってくるたぬきと、お菓子をつまみながらソファで並んでテレビを見るような人、ユキコさんとの静かな生活と会話が呼び水となって、平山の過去を形作った人々や記憶の像がゆっくりと焦点を結んで、現在進行形の物語の中に混ざっていく。その融通無碍な語り口こそが、川崎徹作品の真骨頂だ。 〈何ごとにせよ気づくのは常に後になってからだ。いまさら遅い、手の打ちようのない頃ようやく事の芯が見えてくる。それは四十年五十年経てすっかり出来事を忘れた頃、長い無沙汰の詫びもなく不意に戻って取り逃がした意味を気づかせる。姿を露わにした事の芯は時の経過にも拘わらず古びてはおらず、半日前のことのようにみずみずしい〉
 併録されている、今から十二年前に出たものの、長らく読めないままだった中篇『彼女は長い間猫に話しかけた』も一緒に読めば、川崎徹にとって記憶のメカニズムがいかに重要なモチーフかがよくわかるはずだ。とことん静かなのに、心の深いところまで響く声が心地好い、この素晴らしい二篇に接して、川崎徹がCMディレクターだったことを思い出す人はいないはず。ここにいるのは、一人の優れた小説家だからだ。

 

あなたが子供だった頃、わたしはもう大人だった

あなたが子供だった頃、わたしはもう大人だった