書評王の島

トヨザキ社長こと豊﨑由美さんが池袋コミュニティカレッジで開講している「書評の愉悦ブックレビュー」。そこで書評王に選ばれた書評を紹介するブログです。

松浦理英子『最愛の子ども』

最愛の子ども

書いた人:豊崎由美(とよざきゆみ)2017年6月書評王
1961年生まれのライター・書評家。最新刊は大森望との共著『村上春樹「騎士団長殺し」メッタ斬り!』(河出書房新社)。

 

「とにかくわたしたちは、日夏と真汐をわたしたちの世界での空穂の親と認定した。そして、三人を〈わたしたちのファミリー〉と呼ぶことにした。三人をわたしたち自身の家族と考えるのではなく、みんなで観賞し愛でるアイドル的な一家族という意味での〈わたしたちのファミリー〉だった」  
 同じ教室で、同じ黒板を見て、同じメンバーで昼食をとって学校行事に参加して──。だからこそ、なんとなく生まれる「わたしたち」の気分。中高一貫教育の私立玉藻学園高等部の女子クラス2年4組の「舞原日夏 パパ」「今里真汐 ママ」「薬井空穂 王子様」をめぐる疑似家族に起きた足かけ4年の出来事を、彼女らを見守るクラスメートにして、「小さな世界に閉じ込められて粘つく培養液で絡め合わされたまだ何ものでもない生きものの集合体」たる「わたしたち」が物語るというスタイルをとった松浦理英子の最新作『最愛の子ども』を読んで、中高生の頃の教室の空気を鮮明に思い出す読者は少なくないはずだ。
「いつも好きな人や物に対して冷たい気持ちといとおしい気持ちを両方抱く。だから何ものにもほんとうに耽溺することはない」日夏。要領よく生きて行く術を放棄し、どこまでも意固地に潔癖を貫く真汐。ネグレクトと過干渉を繰り返す情緒不安定気味な母親に育てられ、学校では日夏と真汐から「格別に可愛いたいせつな子」として愛玩されている空穂。男子クラスを掌握しているマチズモの権化のような鞠村尋斗に扇動された男子たちから、ブスだの何だの、やっかみまじりの揶揄を受けても微動だにしないプライドと結束力を保つ2年4組の面々。
「女子高生らしさ」というテーマに対し、しごくまっとうな異論反論を展開して痛快な真汐の作文から幕を開け、日夏と真汐のなれそめ、2人が空穂を慈しむようになった経緯、3人それぞれのキャラクターや現実の家族にまつわるエピソード、修学旅行や文化祭といった行事での出来事などが、「聞き知っていることを織り交ぜながらさらに想像を広げて行く」という「わたしたちの妄想」によって物語られていく。その声は甘やかで親密で、しかし、集団にありがちな同調圧力には決して向かっていかない。自分も2年4組の一員になりたい! 読みながら、そう胸を焦がす女性は多いのではないだろうか。  
 外の世界でたとえ嵐が吹き荒れていようとも、エコスフィア(閉ざされた透明な球体に水と藻とエビを入れ、太陽光だけで生態系を保てるようにした環境)のごとき完璧な調和を保っているこの小さな神話のような物語にも、しかし、空穂の母親が日夏に対して抱く、娘を取られるかもしれないという恐れによって、やがて大きな波風が立つようになる。その時、日夏が、真汐が、空穂が、「わたしたち」が、どんなことを思い、どうふるまい、どんな旅立ち方をするのか。  
 これは、レズビアンについての小説ではない。日夏と真汐と空穂は互いに恋愛感情を抱いているわけではない。大切な人を大事にするには、どういう思考と態度が好ましいのか。相手も自分も気持ちがいいスキンシップとはどんなものか。その仮説を、読んで面白い物語の中に、多角的に展開した小説なのである。「人でも動物でも可愛がられないと可愛くならない」と考える日夏と、彼女の愛撫を受けてどんどん愛らしさを増す空穂に、“わたしたち”読者は、1987年発表の傑作『ナチュラル・ウーマン』の花世と容子の幸福な進化形を見ないではいられない。デビュー作から一貫して、本来大らかで多様性に富む性愛を、性器結合中心主義に縛りつける風潮や考えに疑義を呈してきた作家・松浦理英子にしか書けない唯一無二の小説なのである。 

最愛の子ども

最愛の子ども