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書評王の島

トヨザキ社長こと豊﨑由美さんが池袋コミュニティカレッジで開講している「書評の愉悦ブックレビュー」。そこで書評王に選ばれた書評を紹介するブログです。

『冬の夜ひとりの旅人が』イタロ・カルヴィーノ(訳/脇功)

 

冬の夜ひとりの旅人が (白水Uブックス)

書いた人: 鈴木隆詩 2016年11月ゲスト牧眞司
フリーライター(主にアニメ音楽)

 

 

 自らの体験である第二次世界大戦中のパルチザン活動を描いた長編第一作『蜘蛛の巣の小道』から始まり、作品ごとに作風を変えていったイタリアの作家イタロ・カルヴィーノ。その著作には、地上に一歩も降りずに一生を暮らした男を描いた『木のぼり男爵』や、マルコ=ポーロによる架空の都市の見聞録という体裁の『見えない都市』、SF的な要素を取り入れた『レ・コスミコミケ』など、多彩な作品が並ぶ。そんな彼の最後の長編となったのが、1979年に発表された『冬の夜ひとりの旅人が』。この作品には、小説内小説として10編の冒頭部分が登場する。それがまた色とりどりなのだ。

 主人公は、小説の冒頭部だけを繰り返し読むことになり、その続きを追い求める〈男性読者〉。彼はまず、イタロ・カルヴィーノの『冬の夜ひとりの旅人に』を読み、次にポーランド人作家バザクバルの『マルボルクの村の外へ』を読み、次にチンメリアの詩人ウッコ・アフティが残した唯一の小説『切り立つ崖から身を乗り出して』を読む。その全てが途中で途切れ、続きが気になって、さまざまな手がかりを探す〈男性読者〉は、その度に〈きのう読んでいた小説とは全くなんの関係もない〉新たな小説の冒頭部を手にすることになるのだった。

 もちろん、チンメリアなどという国は現在も過去も実在したことはなく、カルヴィーノのホラ話は、物語が進むごとにドライブ感を増していく。日本人として楽しいのは、8番目に出てくる『月光に輝く散り敷ける落葉の上に』だろう。日本文学のあからさまなパロディで、〈オケダ氏の末娘のマキコが、上品な立ち居振舞いとまだわずかにあどけなさを残した美しい容姿を見せて、お茶を持ってきた。お辞儀をすると、ひっつめて上に巻き上げた髪の毛の下のうなじに細いうぶ毛が背筋まで続いているかのように見えた〉という、谷崎的というか、いかにもありそうな女性描写には、思わずニヤリとしてしまう。
 他にも、ラテン文学ありスパイ小説ありと、さまざまなジャンルが並び、〈男性読者〉と同じ、続きを求めずにはいられないもどかしさを味わえるのが、この作品の快楽ポイントだ。

 それと同時に、ラブストーリーも用意されている。〈男性読者〉が書店で出会うことになる若い女性ルドミッラ。彼女もまた、次々と現れる小説の続きを追い求める〈女性読者〉であり、〈男性読者〉にとっては、魅力的かつ謎めいた想い人になっていく。面白いのは、ルドミッラのような雰囲気を漂わせる女性が、各“小説内小説”にも入れ替わり立ち替わり登場すること。ルドミッラのイメージは、作品全体にふわりと漂うことになり、〈男性読者〉の恋は読書体験とともに深みに落ちる。人生と読書が分かちがたくあり、その果てに男性読者は遥か南米まで運ばれていくことになるのだ。

 さらに、スランプに陥った老作家のサイラス・フラナリーや、フラナリーの翻訳者であり、かつて二つの秘密結社を作ったという謎の人物エルメス・マラーナといった登場人物が現れ、〈男性読者〉の読書体験を複雑なものにしていく。〈私は書き出しの部分だけがある本を、そして全体にわたって冒頭部のもつ可能性が、まだ対象の定まらない期待感が持続するような本を書くことができたらと思う〉とフラナリーに語らせているカルヴィーノ。これは『冬の夜ひとりの旅人が』のテーマそのもの。果てることのない〈期待感〉の連なりは、永遠の命のようでもあり、絶頂に至ることのない男女の交わりのようでもある。

 1981年の松籟社版、1995年のちくま文庫版、そして2016年に出た白水Uブックス版と、時を置いて、何度も復刊を果たしている『冬の夜ひとりの旅人が』。この作品が古びないのは、知的な遊戯のところどころに、心地よい肉体性が潜んでいるからだ。

 

 

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