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書評王の島

トヨザキ社長こと豊﨑由美さんが池袋コミュニティカレッジで開講している「書評の愉悦ブックレビュー」。そこで書評王に選ばれた書評を紹介するブログです。

『蜜蜂と遠雷』恩田陸(幻冬舎)

書評 書評王 池袋書評講座

蜜蜂と遠雷

書いた人:白石 秀太(しらいし しゅうた)
同志社大学文学部美学芸術学科卒。会社員

  

 感情が高ぶる、高ぶる。
 世界のコンクールの中でも注目度の高いという〈芳ヶ江国際ピアノコンクール〉に各国から集まったピアニストたちの戦いを描く恩田陸の『蜜蜂と遠雷』。三度の予選と本選の、二週間にわたって繰り広げられる演奏家たちのぶつかり合いに最後まで興奮させられっぱなしだった。芸術に優劣がつけられて参加者がふるい落とされていくのは残酷だ。でも著者はそれをひっくるめた上で、ほんの一握りの才能が選び抜かれる瞬間の凄まじい歓喜をこの一冊に詰め込んだのだ。
 見どころは勝ち残り戦だけじゃない。全編にわたって溢れる、音楽だ。各章のタイトルからして音楽一色。課題曲でもある〈平均律クラーヴィア曲集第一巻第一番〉という章もあれば、〈『仁義なき戦い』のテーマ〉なんていう名前も。さらに物語の中心となる、経歴も音楽性も違う4人の演奏家が一人一章ずつ登場する際も、各人物を演出するかのような章題になっている。まず〈前奏曲〉の章で登場するのは自宅にピアノすらない養蜂家の息子、風間塵。震音を意味する〈トレモロ〉の章では、幼少期には雨の連続音にリズムを感じていたほどの才能で国内外のジュニアコンクール覇者にもなったが、13歳で訪れた母の死が原因で7年間ステージから去っていた栄伝亜夜。〈ララバイ〉つまり子守歌の章は、妻も子供もいる勤め人にして応募規定ギリギリの28歳、高島明石。そして大本命とばかりに〈ドラムロール〉の章で現れるのが、名門ジュリアード音楽院生で実力は文句なし、勤勉でしかもルックス良しのマサル・C・レヴィ・アナトールだ。
 個性的な主人公たちの中でも風間塵の存在は異例だ。学歴も演奏活動歴も無いのに、晩年弟子はとらなかったはずの世界的音楽家の実は秘蔵っ子で、推薦状まで遺されていたのだ。〈皆さんに、カザマ・ジンをお贈りする。〉〈彼を本物の『ギフト』とするか、それとも『災厄』にしてしまうのかは、皆さん、いや、我々にかかっている。〉という内容。実に思わせぶりな〈前奏曲〉が物語の幕開けだ。
 そして圧巻の演奏シーン。同じものは一つとないその人だけの音色、さらには、努力家だけが感じる喜びや天才にしか見えない風景というピアニストの心にまで肉迫しながら、魂の演奏に興奮したり涙する聴き手の感情にも焦点を当てる。色々な視点を重ねて、音楽だけが与えてくれる高揚、〈「あの瞬間」には完璧な、至高体験と呼ぶしかないような快楽〉を、著者は言葉を尽くして表現する。一曲一曲が圧巻のドラマだ。主人公たちの選曲にも徹底している。フランツ・リストの大曲を一九世紀のグランドロマンに見立てて解釈するマサルや、コンテストではまず使われないエリック・サティを自由曲に選ぶ塵。4人の選曲が音楽家としてのプロフィールにもなり、場面ごとのBGMにもなっている。
 濃密な二週間には別の時間も織り込まれる。参加者たちの「今まで」と「これから」だ。大会にむけて費やしてきた膨大な労力、音楽に夢中だった子供の頃にまで遡る記憶がピアニストたちの頭に去来する。でもこのステージは発表会ではない。才能と才能が刺激しあうことで、今まで気づかなかった新しい目標、苦悩を帳消しにしてくれる「もっと弾きたい」という純粋な理由と出会う場所となる。
 感情を高ぶらせるのはこれだ。主人公たちが刺激しあって才能を開花させ、大会の終わりと同時に音楽の道へと歩み出す姿が、読者にじっとしていられない衝動を与えてくれる。風間塵の推薦文のようにこの本もまた、芸術の世界の厳しさを突きつける〈災厄〉でありながら、夢を追う人の背中を押す〈ギフト〉になる。自身の代表作『夜のピクニック』で〈何かの終わりは、いつだって何かの始まりなのだ〉と書いた著者らしく、『蜜蜂と遠雷』は壮大な「始まりの物語」なのだ。

蜜蜂と遠雷

蜜蜂と遠雷

 

 

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